店主挨拶

四畳半商店の百々と申します。
この事業をしている理由を
少しお話したいと思います。

僕は小さい頃から、自然の感じられる暮らしや機会がありました。

家の裏の小さな山には犬と散策して登ることができました。
木や葉っぱの匂い、ズボンをめくり遊んだ川、歩くたび鳴る枯れ葉の音、木々が作る心地よい木陰...
様々なたくさんの思い出がそこにありました。

学校が休みになると、祖父母の藁葺きの古民家で何泊かするのが大好きでした。

縁側は一番のお気に入りで、座って庭と田んぼを眺めていると、
日差しがとっても暖かくて、本当に気持ち良かった。
夏はすーっと風の抜ける過ごしやすい昔の日本の民家でした。
そこはまさに人と自然が共に暮らす最高の場でした。


高校生の時に、初めて自分の部屋を与えてもらいました。

離れに建てたプレハブ小屋でした。
壁紙の柄が気に入らなくて、板を貼って、ペンキで真っ白に塗り直したり、絵を描いたりしました。
それがインテリアや家具を学ぶきっかけになりました。
使うものはやはり木でした。
「自然のものが気持ち良い」と感じたからです。

専門学校ではインテリアデザインと木工を学んだ後、建具や家具製作の仕事に就きました。
生意気な僕はいろんな所で先輩と衝突し、自分を見失っていきました。



「自分の殻を破りたい」という気持ちで、英語も喋れずにのぞんだのが
青年海外協力隊でした。

フィリピンでの3年間は言葉も考え方も通じず、苦しいことも多々ありましたが、
それが自分の小さな世界を広げてくれました。
フィリピンには人として成長させてもらったという恩義を感じています。

そしてフィリピンには日本で知られていないような、美しいものづくりがあることも知りました。
先住民族の人々が作り出す、手仕事のモノの純粋さに感動しました。

四畳半商店では日本の和の精神、寛容で調和を良しとする心で、
世界の民藝品、特にフィリピンのものを中心に扱っています。

「和」という土台の上に、様々な国の文化が自然に在ることは、とても日本らしいことであると考えています。

「和漢この境を紛らわすこと肝要肝要」
この村田珠光の言葉に僕は衝撃を受け、同時に同じ感覚を持っていることに嬉しく思いました。



四畳半商店はモノを売っていますが、伝えたいのは自然・手仕事・文化です。

異文化に触れる事で、自文化を知るのだと思います。

日本人はもっと外を見て、自分自身を知っていくべきなんだと学びました。

なぜなら、この僕自身が日本のことを全然知らないんだと何度も思ったためです。

僕はフィリピンに三年間暮らしたことで、日本のことをもっと知りたいと思うようになりました。

一方で、知らない文化に対して、より興味を持つようにもなりました。

僕はこの感覚を大事に、そして伝えていきたいと思っています。


四畳半商店は2017年9月に始まったばかりですが、次の目標があります。

自然豊かな場所に、様々な文化が共に在る、寛容な場を作ることです。

そこには衣食住やものづくり、音楽や芸術など、子供達に向けて多様な経験をさせることが出来るような教育的な場です。

自分の殻に閉じこもっていた僕が少しずつ殻を破れたように、
いろんな人がいて良いんだという場所になったら最高だと想像しています。

前向きに一歩一歩進んでいきます。

何卒宜しくお願い致します。

 

 


百々 幸雄

店主の今まで

 

百々 幸雄

Sachio Dodo / Owner

・埼玉県寄居町に生まれ。

山や川で遊び、自然に囲まれて育つ。

夏休み、農家の祖父母の藁葺きの古民家で過ごした経験から、

日本の家の心地良さを知る。

 

・中学時代の反省。

中学1年の時、両親が離婚。母親と兄妹4人暮らし。

色々なことがあり、荒れた。

沢山の人に迷惑をかけ、内省するようになる。

 

・高校2年の時、初めて自身の部屋(プレハブ小屋)を与えてもらう。

壁紙の柄が気に入らず、自身で壁を貼り、家具を作り始める。

インテリアに興味を持つきっかけになる。

 

・専門学校日本デザイナー学院インテリアデザイン科に進学。

卒業制作は縁側の広い大きな住宅の設計。

デンマークの家具デザイナーHans. j . Wegnerに憧れる。

展覧会で偶然居合わせた新居猛さんの言葉によって、家具への考え方が変わりだす。

アルバイト、プレハブ小屋生活、真冬に徹夜という生活で卒業制作後、結核になる。

結核と言うだけで、避けられる。健康が一番大事だと知る。

 

・埼玉県立川越高等専門技術校飯能分校に進学。

かんなの研ぎ方から機械の使い方まで、家具製作を学ぶ。

昼休みも鉋研ぎの練習。すべてが面白かった。

 

・建具・家具製作会社に勤める。

木曽アルテック社 齋藤社長に出会う。

ものづくりの厳しさ、面白さ、同時に自身の弱さを知る。

自分を変えたいという思いから、飛び出すように協力隊に挑戦し、フィリピン行きが決まる。

 

・青年海外協力隊に参加する。

2年間、フィリピン・パナイ島の公立高校で家具製作指導に携わる。

正直苦しかった2年間、不完全燃焼で、悔いが残った。

ただ、フィリピンでの生活や異なる文化に触れ、自身の人生観に大きな影響を与えた。

そして、自分は自分でしか変えられないことを知る。

 

・アメリカへ短期語学留学する。

ピーボディ考古学&民族学博物館で見た、北米ネイティブアメリカン・ハイダ族のトーテムポールに衝撃を受ける。

世界の民族の作るモノの、偉大な力に引き寄せられていく。

 

・再度、青年海外協力隊としてフィリピンへ 。

ミンドロ島の農民達と、ココナッツシェルを使ったクラフト製作事業に1年間携わる。

先住民マンギャン族の作る美しい工芸品に感銘を受ける。

ビジネスとして継続したいと思うようになる。

 

・帰国後、IT系企業に就職。

2年後の2017年9月、腹が決まり独立。


・現在に至る。