Tibayan Designers & Crafters の歴史

 

「第二話 Cocoタートル誕生」

Cocoタートルのオリジナルと出逢う

TDCはココナッツの殻で携帯ストラップを作るクラフトチームと、手編みのブレスレットを作る編み物チームに分かれて生産を始めた。

 


クラフトチームは作業場が無く、地区の公民館を借りて作業をしていた。

 

手編みブレスレットチームの母親達は家で仕事ができるため、場所の問題はなかった。

 

百々は製作技術指導と並行して、カラパン周辺の土産店やマカティのフェアトレード会社に営業をしていた。

 

そんな矢先、世の中はスマートフォンへと移行していき、携帯ストラップなんぞは付けなくなってきたのもこの頃。

 

 

「携帯ストラップだけでは今後厳しいだろう。はて、どうしたものか」

 

頭を抱えている時に、フェアトレード会社から「こんなの作れない?」と見せられたのが、ココナッツの殻で出来た亀であった。

 

「フィリピンの物の割には良くできてるな」正直そんな印象だった。

 

ココナッツの殻の形を活かした良いアイデアだ。

 

さらに福島の赤べこのように頭と尻尾が動く。

 

一方で仕上げニスの塗りすぎ、細部の荒さ、リアルにしようとしていて可愛らしさがないという改善点にも気が付いた。

 

甲羅などは二つのココナッツの殻をうまく接合し、峰を成して本物の亀の甲羅のように忠実に作られている。

 

よく作れているが、やりすぎかなという印象。もっと良くなる余地はあると思った。

 

 

 

このカメは、もともとレイテ島で作られていたそう。

 

2013年11月の台風ヨランダの被害で、今は生産者に連絡も取れなくなってしまったと担当者の方は話してくれた。

 

それを聞いて、僕は迷ってしまった。

 

台風の被害はニュースでも良く知っていた。

 

僕は2013年10月に日本に帰国したばかりで、11月はアメリカにいた。

 

そこでも募金活動をして現地フィリピンのNGOに寄付をしたりしていた。

 

レイテ島の生産者にこの亀は作り続けてもらう事が、本当は一番良いはずだと思った。

 

ただ生産できる状態では無いことは明らかだ。

 

仮に僕達が作らなかったらこの製品自体が無くなってしまうかもしれないし、僕たちが製作を続けることで、いつかレイテ島の生産者と繋がることもできるかもしれない。

 

何よりこれも一つの出会いであり縁だと思った。

 

僕は亀の写真を撮り、試作を作って出直すと伝えてミンドロ島に戻った。

 

Cocoタートル試作第1号生まれる

 

より可愛く、より簡単に、よりナチュラルな仕上げで、そしてマカティで販売できるような品質を重視してデザインと製作を行った。

 

マカティのフェアトレードの会社は、フィリピンの土産や民芸品販売の大手Kulturaと取引している。

 

KulturaはSMという大型ショッピングモール各店舗に店を構えている。

 

外国人の観光客が多いため、フィリピンらしさのある、かつ質の高い製品を生産することが取引の条件だった。

 

 

 

そこでCoco turtleのデザインや品質を大きく改良する必要があった。

 

品質を高め、外国人観光客にも選ばれるもの、かつ製作が複雑ではいけない。

 

さらに、自然な素材や仕上げを使って、フェアトレードを進めようと考えた。

 

具体的には、甲羅を丸いまま使うこと、頭と尻尾に木材を使うこと、目に丸くて大きな木製ビーズを使うこと、接着剤を多用しない接合にする事(竹釘を使った)、ニス仕上げをココナッツオイル仕上げにすること、現地で入手しやすい素材を用いることなどだ。

 

 

今まで僕は、テーブルやキャビネットなどの家具しか製作したことがなかったが、パナイ島にいた時のスプーン作りを活かして、ココナッツの亀の製作に着手した。


完成した亀をマカティのフェアトレードの会社持っていくと、「ok」とのこと。

 

ただ接合部の竹釘は、裏に釘が出ていて引っかかるから変えてくれ、という指摘があり、釘なしで接着剤と接合部の精度で対応することになった。

 

こうして亀の生産が始まることになった。

 

タニーのTDC加入

 

実は亀を生産しようとした頃には、オリジナルTDCメンバーのアドアーとジョーイは製作に参加しなくなっていた。

 

アドアーの荒い仕事に指導しても、改善の兆しはなく、ジョーイは堅実なココナッツのコプラの仕事に就いた。

 

初めのうちは週に1、2回製作に参加していたが、次第にココナッツクラフト事業への意欲が失われていった。

 

こうして、亀の製作にあたるのは、もっぱらオリジナルメンバーのインダイだけになった。

 

 

 

真面目で丁寧、僕の意見も取り入れてくれるインダイはTDCの要だ。

 

しかし、これでは注文に追いつかない。インダイはユニカセさんのキーホルダーやストラップの仕事も担当している。

 

人手が足りないのだ。

 

「甘かった。というより予想外だ」

 

仕事があれば人はイヤでも集まるだろうと考えていた。

 

実際は仕事があっても、難しければやらない、給料が良くなければ続けない人ばかりだった。

 

そんな時、あまりにも身近な人から「やってみたい」と声が上がった。

 

彼はTDCのオリジナルメンバーの選出の際にも、セミナーに参加していた。

 

実はオリジナルメンバーのアドアーとどちらを選ぶべきか、最後まで悩んだのが彼だった。

 

選ばれなかったのは、過去にTARCAで不正をしたのではないかという噂を聞いていたためだ。

 

仕事は丁寧だったが、そういった懸念から選ばなかったのだ。

 

彼は僕の専属トライシクルドライバー(サイドカー付きバイク)でもあるタニーだ。

 

ポラで生産者とのパーティーの時も、リーダーシップを発揮していた。

 

 

タニーはポリオで右足を悪くし、歩くときは杖をいつも使っている。

 

学生の時は歯医者を目指したが、経済的な理由から学業を途中で断念したそうだ。

 

その為、ポラではタニーのことを「ドクター」と呼ぶ人もいる。

 

当時も時々入れ歯の製作を依頼されて、途中まで完成した入れ歯が、無造作にトライシクルのポケット部分に置かれている事もあった。

 

製作の人手は足りなかったので、不正の噂を気にしつつ、試験的にタニーに参加してもらうことになった。

 

タニーは英語も話すし、話もよくわかるリーダー的存在になっていった。

 

製作はやはり丁寧だし、僕の指導にも答えてくれる。柔軟な心を持ち合わせている。

 

タニーのネットワークで、新しい若いメンバーが参加するようになっていった。

 

亀作りの苦悩の日々

 

亀作りは苦悩の毎日だった。

 

僕は家具製作の技術を活かして、自身で製作することができる。

 

ただそれゆえに教えることが非常に大変であった。

 

「なぜ出来ないんだ?」と自分でやってしまいたくなる。

 

その方が楽だけどそうはいかない。

 

一定の品質の製品を作ってもらうこと、それは思っていた以上に骨が折れる作業だった。

 

「正直もう二度とやりたくない」と本当に思っていた。

 

 

作り方を指導する→質が悪い→作り手は品質を気にしない→改善点を指導する→

 

作り手は作るのを諦める→開き直る→再度指導する→指導に嫌気がさす→

 

徐々に辞めていく→新メンバーが入る→一から教え直す→出来てきたと思い、少し目を離す→

 

また出来なくなっている→また指導し直す。。

 

これを何度も繰り返さなければならなかった。

 

一年間のほとんどをこの製作指導に費やしてきた。

 

 

特に問題なのが、”仕上がり”に対する感覚の違いだ。

 

亀の体の外側部分や、頭と尻尾の木材の部分は紙やすりで、#80→#120→#180→#240→#320と、5段階の荒さで表面を滑らかにしていく。

 

この中で荒目の紙やすり(#80~#180)の工程がもっとも大切なのだが、多くのメンバーはこれがいい加減で、荒い紙ヤスリの傷が消えていないうちに次の細かい髪ヤスリに移ってしまう。

 

これだと荒い紙やすりの擦った跡が残ってしまい美しくない。

 

手で触った感じも、ザラザラしてしまう。

 

「仕上がった」という感覚があまりにも違う。

 

 

僕はミンドロ島での活動の前の二年間、パナイ島イロイロ州の公立高校の家具製作科の教師として活動したと先に述べた。

 

この二年間でフィリピン人の性格や文化、仕事観を自分なりに学んだと思っている。

 

そこからフィリピン人に指導する際に大事なことが一つわかった。

 

それは「楽しい事はやる」という事。

 

楽しくなければ彼らはやろうとしない。

 

楽しめるような工夫をしなければいけない。

 

これは突き詰めると、フィリピン人にだけ当てはまるものではない。

 

日本人だってそうだ。だが程度の問題で、フィリピン人は諦めが早い。

 

 

歌やダンスの練習はやるし、何とかパーティの準備は仕事より大事だ。

 

もちろん実際のパーティやイベントで、食べたり飲んだり歌ったり、楽しいことはみんなやる。

 

その感覚で「仕事を楽しむ」ことができれば良い。

 

フィリピン人は素直で、やりたくない、割の合わない仕事は、お金が必要でもしない。

 

「楽しそう」「やってみたい」と思わせることが大切だ。

 

 

イロイロの高校でも紆余曲折し、最後は開き直った。

 

授業関係なく、生徒と一緒に木のスプーンを作り、ただただ、ものづくりを楽しんだ。

 

木を鑿で削る楽しさ、木の感触、香り、磨くとどんどん綺麗になってオイルで仕上げて完成だ。

 

純粋に楽しむことを一番にしたから、自分のスプーンを作りたいとか、家族にあげたいと言って、生徒達は自発的に作り出した。

 

「これで良かったんだ」と僕は思った。

 

考えてみれば、そりゃそうだ。

 

知らない外人が来て、仕事も無いのに「就職の為に技術を学ぶんだ」なんて。

 

そりゃ誰も家具製作なんてやりたくない。

 

社会はそんな簡単に変わらない。

 

僕個人ができたことは、楽しんだ記憶を作ってあげて、生徒たちの心のどっかにそういう記憶を残してあげること。

 

それが将来の何かに繋がれば良いと思った。

 

だから「楽しむ」が一番に大事なんだと、僕は学んだ。

 

 

 

この時の経験があったから、亀作りも大まかに作り方を教えた上で、まずは自由に作りたいように作らせてみようと思った。

 

顔や尻尾も好きなのを作らせてみて、まずは彼らの意思を尊重し、意欲を削がないでみようと思った。

 

上手くいかないとは思っていたけど、予想通り、いや、予想を遥かに越えて、亀はあまりにも個性的で、売れそうにないものも多かった。

 

 

僕がはなから「これはダメだ」と言っても良かったけど、取引先のフェアトレード会社からのフィードバックを知らせた方が説得力があると思った。

 

僕はそのままマカティに亀を送って、フェアトレード会社に判断してもらうことにした。

 

 

結果は、50個中40個の受け取り拒否。

 

この出来事で少し生産者の認識を変えたい、というのが狙いでもあった。

 

この後からは、僕も少しずつ指導を行いだした。

 

しかし、指導すると素直に変更してくれないメンバーも中にはいて、結局そういうメンバーは脱退していった。

 

また重労働だけどコプラの手伝いの方が賃金が良く、去っていった。

若いメンバーも脱退

 

フェアトレードの会社からのフィードバックによって、僕の指導にも説得力が増すと考えたのは正解であった。

 

真摯にアドバイスを受け入れるメンバーもいた。

 

一方で若いメンバー3、4人はふっと消えるように来なくなってしまった。

 

挨拶も無く居なくなる。

 

 

後日、町で出会ったが、宗教の勉強をすると言っていた。

 

「やはり難しかったのかもしれない」

 

指導が問題だったのだろうか。

 

フィリピン人の心は読みずらい。

 

楽しそうに作ってる様に見えても、次の日には辞めてたりする。

 

 

結局残ったのはタニーとインダイ、マネージャーのコンセプションだけだ。

 

また振り出しに戻ってしまった。

 

僕が思っている以上に、亀作りはハードルが高いのかもしれない。

 

 

タニーに相談して、求人用のポスターを町の中に貼らせてもらうことにした。

 

時間、報酬、作業場所や仕事内容などを記したポスターを、町の中のサリサリストアに貼らせてもらった。

 

全く効果はなかった。

 

連絡先はコンセプションの携帯だったが、コンセプションの家が電波が届かないほど山奥であったからだろうと信じたかった。

 

 

そうこうしているうちに、タニーのつながりで近所の女性が製作を手伝ってくれるという話が出てきた。

 

タニーの家の近所に住む、ノナとティンティン姉妹だ。

 

分業で家に道具を持ち込み、丁寧に作業に取り組んでくれた。

 

その二人とタニーのつながりで、すぐ後に別の若いメンバーが5、6人手伝いに参加し始めた。

 

こうして、分業ラインの体制が整い、生産が安定しだした。

 

 

動画の様子は、その時のものだ。

 

公民館のベンチを利用して、横並びになって分業して亀を作っている。

 

この体制で生産量も上がり、営業をもっと掛けていこうと思っていた。

 

そんな矢先、一人、二人と製作に来なくなっていった。

 

「またか」がっくしと肩が落ちた。

 

2、3ヶ月経つかどうかというものだった。

 

結局1度目と同じく、ほとんどの若いメンバーは居なくなった。

 

ノナやティンティンのまでも、製作に当たる日数が減っていった。

 

結局タニーだけが頼りになってしまった。

 

 

その頃から、タニーは公民館でなく、自宅の隣の親戚の空き家で作業をするようになっていた。

 

公民館まで遠いことと、それによるガソリン代も掛かる、などが大きな理由だ。

 

今まではタニーが公民館の方に出向いていたが、最近はコンセプションやインダイがタニーの作業場に来ることが多くなった。

 

 

 

作られた亀達はというと、マカティのKulturaという有名なギフトショップに並べられるようになった。

 

フェアトレード会社の担当者は「Coco」という愛称で亀を呼んでいた。

 

とても良い名前だと思った。

 

Coconut からできた亀だから「Cocoタートル」だ。

 

 

名前も決まった。

 

あとは生産だけだった。

 

しかし、もう一年が経とうとしていた。

 

任期が終わる。

 

帰国しなければならない。

 

あっという間の、そして非常に濃い一年だった。